近年大切な価値として語られ始めた“多様性”だが、多様性ってなに?と改めて考えてみるとよくわからない。
多様性がもてはやされるようになったモチベーションは3つあると思う。
1つめは、マイノリティの人権問題。
SNSの発展でマイノリティに光が当たり始めたという背景もあろうが、誰もが等しく幸せになれるべき、という価値観は共感を得やすい。昨今の格差社会において一歩間違えば自分も弱者になり得るという危機感が多くの人にあるからだ。
2つめは、組織の閉塞に対する危機意識で、特異な人材に変革が期待されている。もっとも建設的なモチベーションとも言えるが、実際は難しい。なぜなら、一般的に多様性はコストでしかない。同じような価値観の人間だけが集まっているほうが、組織は短期的にはうまく回る。しかしそういった同質性の高い組織は、変化に対する耐性が乏しく全滅しやすい。
3つめは、“あるがままに生きたい”と願う人間本来の欲求であり、僕はもっとも包括的で重要な要素だと考える。上述のように、社会が(そして1人1人の怠慢が)コストの最小化を求めた結果、個々のフラストレーションが最大化してしまっている。世界に一つだけの花に憧れながら、あり得ない、と自分で封印してしまっている。無意識の反抗として、“多様性”を語っているのではないか。
これらをある程度区別したほうがいい。
なぜなら、人間は“多様性”ばかりを求めているわけではない。ある程度の同質性をみな求めているはず。
と悩んだときに、“多様性”を“あるがまま”で置き換えると理解し易いのではないか。