前回に続いて多様性について考えてみる。
多様性と言えば何となく素晴らしいことのように聞こえるが、実は多様性という概念自体が複雑なパラドックスを抱えていると思う。
多様性が至るところは、ひとつ間違えれば均質性である。ある集団の構成要素が非常に偏っているとすれば、それは特異的な集団であると言えよう。しかし、その集団が多様な構成要素を取り入れれば入れるほど、集団としては特異性を失い、他の集団との差異を見出しづらくなる。構成要素の多様性から集団の多様性が一義に導かれるわけではないことに注意しなければならない。
また多様性が重んじられるようになった背景には、過度に同質性を求めすぎた社会の反省がある訳だが、かと言って多様なばかりでは社会が立ち行かないことは明白である。多様性を同質性へのアンチテーゼとして捉えている限りは二項対立から抜け出せない。同質性と共存できるものでなければならない。
これらの観点から、多様性という言葉を見直す必要があると思う。私の考えではdiversityを多様性と訳さない方が良い。差異性と訳すべきである。個々が差異を抱えながらも同質であることは可能である。同質性と差異性を内包する集団はとてもしなやかで強い。また同様に、同質性と差異性を内包する心もとても強い。
これからの時代、差異がもっと着目されると嬉しい。